山陰の企業・団体の若者に
スポットを当てた
インタビューコラム

「清掃は命を守る仕事」
あの日の決意を、今も覚えています。
さんびる
松江営業所・29Years old
谷 弘樹
母ひとりで3人兄弟を育ててくれたんです。早く自立して家計を支えたい思いもあって、高校を出てさんびるに入社しました。配属は病院でした。院内の衛生管理なども行う責任ある仕事ですが、当時の僕は正直「清掃業」という仕事にどこか恥ずかしさも感じていて。現場ではやりがいを感じていたのですが、「好きなことを仕事にしてみたい」という気持ちがだんだんと高まり、転職を決意したんです。
転職先は自動車の営業です。土日も忙しく、成績が収入に反映されるので年収も増えましたが、長女が小学校に上がる時「この成長を見られるのは今だけだよな」と。営業の3年間は充実した日々でしたが、生活と仕事のバランスを見直したくて、さんびるへ戻ることを決めました。
復職してすぐ、勤務先の大学病院で新型コロナのクラスターが発生したんです。現場は混乱しましたが、僕たち清掃が止まってしまえば医療現場は回りません。僕も感染は怖かったですが、意を決して「誰かがやらないといけない。だから僕が動くよ」とスタッフに伝え、そこから雰囲気が変わっていったように思います。僕が決意できたのは、看護師として長く働いてきた母の姿があったから。「職員が怖がっていたら患者さんはどうなるの?」という母の言葉が支えになりました。清掃って命を守る仕事なんだ、というあの日の思いは、今もよく覚えています。
今は松江の勤務です。休日は子どもを連れて近所のお店を巡り、平日は学生時代の恩師や同級生が仕事先にいたりと、地元ならではのつながりと安心を感じています。転職と復職を経験しましたが、今思うのは「仕事が好きか」より「仕事の先に何があるか」ということ。僕にとってそれは、地域とのつながりと家族との時間、自分の成長でした。仕事の先に大切な何かがあるから、前向きに働けているんだと思います。

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仕事は出雲、週末は米子。
両方ともが大切な場所です。本池 琉久コニシ 営業 -
困った時支えになるのは人のつながり。
技術や知識より大きなものを学びました。松本 幸大新和設備工業 -
技術も人間性も、盗めるものは
どんどん盗んで成長したいです。橋本 純弥太陽電機製作所 -
言葉にできない発見の喜びは、
開発の自由さのひとつだと感じます。吉野 卓司出雲村田製作所 -
歴史からの学びと未知の開拓、
その両面が楽しめる環境です。杉井 天真ツチヨシ産業 -
働いて、打ち解けて、達成感を共有する。
誰かと働くって、面白いんですね。山﨑 昌也豊洋 -
やっぱり作ることが好きで。
エンジニアとして開発の前線にいられることが嬉しいです。難波 和秀ティーエム21 -
今は仕事も趣味の卓球も楽しくて。
生きることが楽になりましたね。三宅 未貴島根情報処理センター -
自分の仕事がこの街の誰かの
思い出をつくっているんですね。藤原 孝光島根電工 -
「清掃は命を守る仕事」
あの日の決意を、今も覚えています。谷 弘樹さんびる -
変な謙遜はやめました。
躊躇してたら人生あっという間です。永海 武パリティクラブ -
「お父さんがつくった道だよ」と娘に
言える日が来たらいいなと思います。遠藤 嘉門フクダ -
ブレーカー上げて電気が通ると
「ああ光ったな、よしよし」って。幸村 翼サンベ電気大田営業所 -
家を出る時、玄関前で
深呼吸して「よし、いこう」って。小引 久実山陰中央新報社 -
会社の枠を越えて人として頼られたり。
その方が仕事が面白いですよね。青砥 童心積水ハウス山陰支店 -
未来の後輩がスポーツに打ち込める
場所を作っていけたら最高です。久家 英雄中筋組 -
アイデア次第で方法は無数。
テレビの枠を超える挑戦にワクワクします。作野 美加TSKさんいん中央テレビ -
「やってりゃ覚える」で8年間。
不器用だけど続けるのは得意なんで。大城戸 貴之MAKATA -
「ものを作る楽しさ」の
意味が大きく変わりました。桑谷 拓哉オネスト -
やりがいを感じるのは逆に、
何もない普通の日だったりします。淺津 さや香ALSOK山陰 -
みんなで『やったな』と
声を掛け合える瞬間が好きです。漆谷 輝希広島アルミニウム工業 -
特別なことはなくても平穏な日々。
平常運転の幸せの中で働いています。金本 裕生たなべの杜 -
「人と話すのが楽しい」なんて
前の自分では考えられませんでした。大垰 琉稀KSE
順不同
