16:14 出雲市の住宅街の一角で、渡部貴大は17年前の自分を思い出した。
渡部貴大 サンキ・ウエルビィ
渡部貴大は、認知症の高齢者が暮らすグループホームの施設長を務めている。2階建ての建物に18人が暮らし、16人の職員が働く。現場で入浴や食事の介助に入りながら、会議や請求、職員のマネジメントも担う。
施設長になって3年目。いちばん気をつけているのは言葉だという。
「利用者さんは目上の方なので、何かお願いする時も『してもらえますか』と伝えます。認知症の方は、さっきまで笑っていたのに急に不安になったり、怒ったりすることもあるので、その日の表情を見ながら言葉を選びます。職員に対しても同じで、施設長の一言で、その場所の空気は変わると思っています」
渡部が介護の仕事に就いたのは18歳の時だった。祖母と過ごす時間の長い、おばあちゃん子だった。看護学校を受験したが合格せず、知人に紹介された現在の会社へ入った。
強い使命感があったわけではない。ただ、祖母のような年齢の人たちと話すことが楽しそうに思っただけだった。
仕事は実際に楽しかった。ただ、高校を卒業したばかりで、働くということがよくわかっていなかった。疲れて利用者と一緒にテーブルへ伏せて眠っていて驚かれたことがある。つい朝寝坊をして、上司に起こされたこともある。
そんな新人時代に、先輩から繰り返し言われた言葉。
「まず、その人を知りなさい」
どんな仕事をしてきたのか。家族はいるのか。何が好きなのか。生活歴を知れば、声をかける言葉が見つかる。登山をしていた人には、登った山を尋ねる。昔の仕事を聞けば、その人の表情や声が変わる。渡部は少しずつ、介護は身体を支えるだけの仕事ではないと知っていった。
ある利用者を自宅まで送った時のことだった。「それでは失礼します」と帰ろうとすると、女性が「ちょっと待って」と奥へ入り、ビールを持って戻ってきた。
「これ、飲んで帰りなさい」
渡部は車で来ている。そもそも、利用者から個人的に物を受け取ることは規則で認められていない。ありがたいけれど、受け取れない。何度も礼を言いながら断った。誕生日を覚え、プレゼントを用意してくれた人もいたが、その時も受け取れなかった。
支えるために訪ねたはずが、帰りには気遣われている。介護する側とされる側は、いつもきれいに分かれているわけではなかった。
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仕事は、優しい時間だけではない。夜9時から明け方3時まで、5分おきに同じ訴えが続くこともある。病気による不安だとわかっていても職員へのストレスはかかる。
つい言葉が粗くなりそうな時は、一度呼吸を整える。それでも難しければ、自分は引いて、別の職員に代わってもらう。反対に、誰かが行き詰まれば渡部が入る。
「自分1人で全部やろうとすると、ケアする側も苦しくなります。いったん離れることも必要ですし、職員同士で負担を渡し合うことが大切だと思っています」
施設では、利用者の最期を見送ることもある。食べられなくなり、水分も取れなくなった人のそばで、好きだった曲を流す。身体を拭き、乾燥した肌にオイルを塗る。声かけに反応がなくても、手を握れば、握り返してくれることがある。
新人時代に教わった「その人を知ること」は、人生の最後にもつながっていた。
結婚して2人の娘が生まれると、渡部の視線はさらに広がった。以前は自分の楽しさを優先していたが、今は子どもの言葉を聞き、「そう思っているんだね」と一度受け止める。その姿勢は、職員と向き合う時にも表れるようになった。
施設長である渡部のデスクには、処理を待つ書類が積み上がっている。順序立てて事務仕事を進めるのは、今も得意ではない。紙の山の前に立ちながら、渡部は18人の利用者の生活と、16人の職員のことを考えている。誰かに呼ばれれば、机を離れて現場へ向かう。
18歳の頃に欲しかったのは、ただ「楽しい時間」だった。今は、娘たちと公園を走り、一緒にアイスクリームを食べる、心が少し温まる、静かな時間を幸せだと感じる。
「あんたと一緒に外に出られて、よかったわ」
外出から戻る車の中で、利用者がそう言って笑ったことを、渡部はときどき思い出す。自分の名前を伝えても、すぐに忘れてしまう。だから「あんた」と呼ばれる。それでも、一緒に過ごした時間の心地よさは残っている。
渡部自身も、利用者の言葉に励まされ、家族や職員の言葉を聞きながら17年を歩いてきた。
今は、自分の言葉で、誰かが安心して暮らし働ける場所をつくろうとしている。
PROFILE
サンキ・ウエルビィ
渡部貴大 Takahiro WATANABE