16:52 河下港の現場で佐藤弘毅はワイヤーをつかんだ。
佐藤弘毅 株式会社中筋組
仕事の成長ややりがいについて聞いても、佐藤弘毅は、なかなか大きな言葉を口にしない。
「特別なことは、思わんです。できなかったことが、できるようになったぐらいで」
佐藤が18歳で中筋組へ入社して9年がたつ。船のことなど何ひとつ知らなかった状態から、今ではクレーン付きの重機船を自ら操縦している。港湾のブロックを撤去し、新しいものへ入れ替えている。現場では仲間の動きを見ながら作業を進める。本人が「できるようになっただけ」と呼ぶものの中には、たしかな技術と、働く人たちの安全を預かる大きな責任感がある。
平安時代から続く古刹・一畑薬師から北へしばらく車を走らせると、日本海にぶつかる。佐藤が生まれたのは、ちょうどそのあたり。出雲市内にある海沿いの小さな町で育ち、高校は先輩に誘われ隠岐の島の学校へ進んだ。
振り返ってみれば、ずっと海のそばで生きている。「でも、別に海の仕事を目指していたわけでもないんです」と佐藤は笑う。「この仕事を始める前は、テトラポッドを誰がどう置いているかとか、意識したことなかったですよ」
高校を出て中筋組へ就職した。地元でよく知られた歴史ある建設会社。ここなら安心して長く働けるだろうと思った。
入社後は出雲市内の港湾の現場に配属され、操船やワイヤーの扱いを覚えた。
現場で一緒になるのは、世代が離れた人も多かった。先輩たちの強い方言は、ときどき何を言われているのかわからないこともあった。自分がまだ知らない用語も飛び交った。でも、わからないまま作業を進めることはできない。重い資材や重機を扱う港湾工事では、小さな判断ミスが大きな事故やけがにつながることもある。聞き返し、確認する。一度誤ったことは、繰り返さない。
危険な場所に手を置けば、先輩に強い口調で注意されることもあった。若い頃は反射的に腹が立つこともあった。
「でも、反発はしなかったです。自分が悪いのはわかっとったんで、先輩も心配から言葉が強くなっとったと思います。だから、ちゃんと直そうと。仕事を覚えて、もう何も口出されないくらいに、びしっとやってやろうと。自分が変わらんと、同じことで叱られるだけなんで」
ベテランたちは、目の前の作業だけでなく、一歩、二歩先まで読んで動き、佐藤が手間取る作業もあっという間に終わらせることもあった。別会社の職人の人たちの技術に驚かされることも少なくなかった。先輩たちの仕事を見ながら技術を盗み、次の現場で試しては、身体に覚え込ませる。その積み重ねの日々の中、佐藤は仕事の充足感を得ていった。
やがて佐藤にも後輩ができた。年代の近い同僚がいることは支えになるし、単純に後輩たちがいると現場は楽しい。でも、楽しいだけではやっていけない。
後輩が間違った作業をしていた時、すぐ声をかけられなかったこともある。
「自分の作業で手いっぱいだったんです。でも、その場で言わないとダメでした。危ないこともあるんで」
注意される側だった人が、気づけば誰かの安全を守るために声をかける側になっていた。
佐藤は現在、十六島にある河下港で働いている。重機を積んだ船を操縦し、港湾整備やメンテナンス工事に携わっている。海上に並ぶテトラポッドの設置も、佐藤たちの仕事だ。
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佐藤にとって、いい仕事をした日とは、特別な成果を挙げた日ではない。予定した作業が順調に進み、誰も怪我をせず、全員が無事に家へ帰っていく。それが一番だという。
何も起きなかったのではない。何も起きないよう、起こさせないよう、気を配ったのだ。佐藤にとって仕事の達成感は、何かをつくりあげることだけを意味しない。事故がなく無事に1日を終えられること。そこに静かな仕事の成果がある。
仕事を終えると、まっすぐ家へ帰る。6歳の子は、覚えたばかりのダンスを何度も見せたがり、「32回目」と言いながら、また同じ踊りを始める。下の子は、思いがけないタイミングでおならをして家族を笑わせる。毎朝、家を出る時には、子どもとハイタッチをする。
「お前も歩いて学校に行くけん、気をつけろよ」
そう声をかけて、佐藤は海へ向かう。船を動かし、仲間の動きを見る。佐藤はそれを、ただ「普通の日常生活です」と話す。
港の風景は、今日もいつも通り。港湾の保全とは、その、いつもの風景を守る仕事でもある。佐藤の今日に、特別なことは、起きないかもしれない。それこそが、佐藤の仕事の意義でもある。
PROFILE
株式会社中筋組
佐藤弘毅 Koki SATO