4:30 御津漁港沖の海で、瀬尾弘晃は朝日に目を細めた。
瀬尾弘晃 M.F.F.
午前2時半の松江は、まだ暗い。静まった街にエンジンの音が響く。御津漁港に近づくと、窓の隙間から潮の匂いが入ってくる。岸壁の明かりの下で人影が動き、係留された船が小さくきしむ。
瀬尾弘晃の一日は、長い。夜明け前に船に乗り、沖の定置網へ向かい、魚を揚げる。しだいに空が白み始める。急いで港へ戻り、選別し、箱に詰める。市場が開く6時半に間に合わせなくてはいけない。前日のしけで網が破れていれば、修繕もある。海の仕事は予定通りには進まない。波の高さも、風の向きも、魚も、毎日変わる。
漁と網の修繕を終えると、瀬尾は午後の仕事に向かう。M.F.F.と書かれた看板の建物。そこで魚をさばき、塩辛や刺し身、干物などに加工する。15時すぎに自宅へ戻ると、やがて2人の子どもたちも帰ってくる。「腹が減った」と言われれば軽く料理をつくり、夕方には剣道の稽古へ連れていく。夜は妻と子どもたち、家族4人で食事をとり、21時には眠る。明日の朝も早い。
瀬尾は、もともと海の人ではない。広島県庄原市で生まれ育った。島根との県境に近い、山の町だ。高校卒業後は13年間、地元のメーカーでスピードメーターをつくる仕事をした。給料がよく地元に残れる場所を探して就職した。
若い頃は、周りの仕事ぶりにいら立つこともあった。そんな時、ベテランの先輩に言われた言葉が残っている。
「人の仕事だからイライラするんだわ。全部自分の仕事だと思ってやらんといけんよ」
その考え方は、職種が変わった今も思い出す。海の上では、少しの判断ミスが命の危機につながる。声を出し、ロープを持ち、周りの動きを見ながら体を動かす。人のせいにしない。責任を持つ。
メーカー時代は役職もつき、生産管理まで任された。けれど、この仕事をあと40年近く続けるのか、と考えると、どうだろうかと思った。
地元には、瓦屋の友人がいた。農家の知人がいた。大雪で屋根が壊れたら直しに来てくれた。実家の田んぼで困ったことがあれば助けに来てくれた。そうした、家や畑や食卓と地続きにつながる仕事を間近にすると、自分の仕事はますます頼りないものに感じられた。
「10年工場で働いてきて、車をつくってるから誰かしらの役には立ってるのはわかるんです。けど、自分の手の届く範囲の人に、自分は何が返せるのか。そう考えたら、自分が何の役にも立たねえって気がしたんです。メンタルが弱ってたんでしょうね」
悩んだとき、瀬尾は海へ向かった。もともと釣りが好きで、週末はよく松江まで海釣りに来ていた。やがて松江へ通う理由は、釣りだけではなくなる。後に妻になる女性と出会ったからだ。彼女は2人の子どもたちと松江で暮らしていた。そこに瀬尾は広島から通い、少しずつ3人の暮らしに加わっていった。
ある日、彼女のもとに一本の電話がかかってきた。
「魚、いらんか?」
電話の相手は漁師をしている幼なじみで、会社を立ち上げたばかりだという。御津漁港で、漁業と加工と販売までを自分たちでやる。妻を通じて、その代表は言った。
「海が好きなら、いつでも船に乗りに来てよ」
その一言ですぐ人生が変わったわけではない。船に乗れば、海は面白い。けれど広島には長年続けた工場の仕事があり、松江にはこれから加わろうとしている家族の暮らしがあった。瀬尾の決断には、3年がかかった。
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代表は「漁師を稼げる仕事にする」と瀬尾に語った。「漁業で御津を盛り上げる」とも言った。その言葉を、瀬尾は半信半疑で聞いていた。けれど、言葉に少しずつ現実が追いつくように、ものごとは形になっていった。
「はじめは経営者の言うことだからって、懐疑的に見てたんですよ。いくら理念が良くても、それ実現できるのかって。それが、3年のうちに浜の小屋を買い、改装が進み、イベントに出て、メディアにも取り上げられて、ああ、この人は言葉だけじゃないんだって、思いました」
御津の港は、M.F.F.というその若い会社を中心に、確かに変化していた。その変化を外から見ているだけの自分を寂しく感じた時、瀬尾は転職を決めた。
松江へ移り、家族4人の暮らしを始めた。漁師として御津漁港で働くようになった。
生活は一変した。自ら魚を獲り、加工や販売、発信にも関わるようになった。移住して1年あまりがたつが、決断を後悔したことは一瞬もない。
「定置網って、季節ごとに本当にいろんな魚がかかるんですよ。名前もわからないような魚が揚がることもあって、みんなでなんだこれって写真撮って調べたりして。楽しいですね。毎日」
去年の夏休み。子どもが自由研究に選んだテーマは、「魚がスーパーに並ぶまで」だった。瀬尾の職場を子どもが見に来て、魚が出荷されるまでをまとめた。
前の仕事では、職場を見せることはできなかった。けれど今は、仕事の話を家に持って帰る。見たことのない魚が揚がれば、写真を見せる。魚を持って帰れば、家族や友人が喜んでくれる。朝獲れた魚でつくる新鮮なしめサバは、子どもたちの好物になった。
「好きな仕事の話を家族とできる。喜んでくれる。漁師になってよかったって思います」
PROFILE
M.F.F.
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