11:00 出雲科学館で、吉川はロボットと壇上に登った
吉川ひかり 株式会社出雲村田製作所
吉川ひかりは2台のロボットと学校や科学館へ出かけ、子どもたちにモノづくりの面白さを伝えている。電子部品をつくる会社で、ロボットと教壇に立つ仕事があるとは、想像もしていなかった。
松江市で生まれ育った吉川は、ドラマやSNSで見る都会の大学生活に憧れ、関西の大学へ進学した。当時の吉川にとって島根は、「何もない場所」に見えていた。遊ぶ場所も、選べる大学も少ない。大学ではサークルに入り、卒業後は高層ビルのオフィスで働く。そんな未来を思い描いて島根を離れた。
しかし大学2年から、生活はコロナ禍で止まり、授業はオンラインになった。思い描いた青春とは違った。それでも地元を離れたことに後悔はない。
「都会は楽しいことも多いけど、長く暮らすことを考えると、家族や知っている人の近くにいる方が、自分には合っているとわかりました。両方を経験して、やっぱりこっちがいいなって思えたのは良かったです」
地元で働く。自分の生きる場所を選び直した吉川が、就職活動で出会ったのが出雲村田製作所だった。最初に惹かれたのは給与や福利厚生の手厚さで、電子部品の会社であることはわかっても、実際に何をつくっているのか、よくわからなかった。
出雲村田製作所で製造される積層セラミックコンデンサは、1台のスマートフォンに約1200個も使われる電子部品で、ムラタグループはその世界トップのシェアを誇る電子部品メーカーだ。出雲村田製作所はその生産・技術開発の拠点である。
そういうことを、吉川は知って、何もないと思っていた土地に、世界中の日常を支える仕事があることに驚いた。
工場だと思っていた職場が、最新の設備が並んだスタイリッシュな空間ということも吉川の予想を裏切った。
配属されたのは総務課で、広報や地域活動まで担当業務は幅広く、予想を超えるものばかりだった。自社が開発した広報用ロボットの「ムラタセイサク君」「ムラタセイコちゃん」との出前授業もその一つだ。学生の頃、小学校の先生に憧れていた自分が、巡り巡って、教壇に立っている。そのことに、吉川は不思議な喜びを感じた。
転機は、入社2年目に担当したテレビ番組だった。
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子どもたちが工場の仕事を体験するテレビ番組の企画が立ち上がり、吉川は放送局と企画を考え、社内での撮影の段取りを受け持つことになった。最初は荷が重いと思った。担当を任された時、本音では断りたいとさえ思った。機密情報が多く撮影ができない場所が多い工場で、何を見せれば面白くなるのか。
吉川は頭を悩ませながらも、社内のメンバーと意見を交わし、3Dプリンターでハンドスピナーをつくる企画を考えた。会議を仕切り、目上の社員に提案するのも初めてだった。それでも他部署の先輩や工場長が協力し、頭の中の案が少しずつ現実になっていくことに充足感があった。
「私は、仕事を頼まれると、まず失敗する方を考えるんです。怒られるかも、うまくいかないかもって。でもテレビの仕事も、やってみたら意外とできた。今でも不安にはなるんですけど、心配事の9割は起こらない、難しそうだけどたぶんなんとかできるって、自分を奮い立たせています」
仕事を通して、もう一つ発見があった。いいアイデアは、選ばれた一握りの人だけに訪れる、特別なものではないということだ。
「前は、意見を言うのが恥ずかしかったんです。自分の考えはつまらないかもしれないって。でも日常の中にある地味なことでも、じっと見ていると、これとこれを合わせたら良さそうだなって思うことがあります。職場でいろいろな人の話を聞く中で、企画ってできあがるんだとわかりました」
出雲市には、マジックペンを製造する老舗企業がある。そのことを知った吉川は、社内のメンバーとアイデアを出し合う中で、ノベルティ製品を一緒につくれないかと考えた。検討を重ねた結果、2社のロゴと「メイドイン出雲」の文字を入れたペンが完成した。
何もないところから生み出したのではない。仕事や生活の風景を眺め、人の話をよく聞き、すでにあるもの同士をつないだのだ。
仕事を終えて家に帰ったあと吉川は家族と食卓を囲む。学生の頃は、ご飯を食べるとすぐ自分の部屋に戻っていた。けれど、かつて退屈に見えた島根の日常を、今の吉川は違う目で眺めている。
「出かけている時より、家でみんなとご飯を食べている時ですかね。そういう普通の時が、幸せなのかなと、今はそう思います」
PROFILE
株式会社出雲村田製作所
吉川ひかり Hikari YOSHIKAWA