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14:21 雑賀敦之は松江市内の社屋で今日の新聞を読み返した。

雑賀敦之 株式会社 山陰中央新報社

タクシーを降りると、東京の空は明るくなり始めていた。午前5時。眠れるのは4時間ほどだ。ここのところの激務を思えば、家で眠れるだけましだった。

ドアを開けるなりベッドへ倒れ込みたい気持ちを抑え、雑賀敦之は鉢植えに水をやろうと窓辺へ向かった。するとブルースターの青い花が一輪、咲いていた。

「それだけで、心がぐらぐらしたんですよ。もううそみたいに感動しちゃって。やばいな、俺、どこか壊れかけてるのかもって思いましたね」

当時、雑賀は東京の大手出版社で週刊誌をつくっていた。仕事は忙しく、会社で朝を迎えることもざらにあった。その分、給料はよく、初年度から年収は一般的な会社員の収入を大きく上回った。

「でも、どんなに豪遊して高いものを食べても、全然記憶に残ってないんですよ。お金があっても、それを幸せに変換するセンサーがぶっ壊れてたら、だめなんですよね」

米子で育った雑賀は、本の虫だった。京都大学で文化人類学や社会学を学び、普通の人々の暮らしを掘り下げる学問にひかれた。研究者が見つけた世界の見方を、広く世の中へ伝える手伝いがしたい。その願いから出版の世界へ入った。

だが、配属された週刊誌で求められたのは、違う種類の力だった。読者の欲望を刺激する企画を立て、不安をあおる見出しを考えた。結論から逆算した取材もこなした。

「それでも1年くらい頑張ったんですよ。でも、ある時ふと、『この記事、ばあちゃんには読ませられんな』って思ったんです。自分がつくったものが、誰の役にも立っていないように感じちゃって。もう限界だったんでしょうね」

転職先は、京都の学術系出版社だった。研究者の知見を、厳密さを損なわず、一般の読者へ届ける。雑賀は、そういう本をつくった。大学時代に影響を受けた本を復刊できたことも、思い入れ深い経験になった。ようやく見つけた、信じられる仕事だった。

それほど好きな仕事を、なぜ離れたのか。雑賀は「結婚です」と笑う。

「高校時代から付き合っていた恋人が地元にいたんです。京都で一緒に暮らすことも考えたけど、まあ、俺はどこでも生きていけるだろうし、いつか地元に帰るなら今なのかなと。正直、未練はありましたよ。後ろ髪をぐいぐい引かれながら、山陰に戻りました」

Uターンした雑賀が入社したのが、現在勤める山陰中央新報社だった。人口減少と高齢化が進む山陰で、新聞の世界へ。しかし転職から1年がたった今では、山陰の人の少なさが、むしろ可能性に見えていると雑賀は言う。

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「地方新聞の購読者データって、すごいんですよ。うちには14万件以上のIDが蓄積されています。島根県の人口は約60万人なので、人口の5分の1以上に相当する規模です」

雑賀が所属する部署は「未来戦略局」という。その仕事の一つは、新聞社が長年築いてきた、地域に根ざしたデータ基盤を活用する事業を考えることだ。

「業務は多岐にわたります。例えば配信用のニュース動画をつくる時は、台本も撮影も編集も自分でやります。最近はAIを使ってプログラムを書いて、高校野球の試合結果から記事の下書きをつくる仕組みも構築しました」

なぜ一人でそこまでやるのだろう。答えは単純で、やる人がいないからだ。

「都会なら、データ分析だけで一つの部署がありますし、映像にもプログラムにも専門の人がいます。でもこっちは発注先も限られていますし、社内にもノウハウや前例が少ない。自然と、自分で動きながら全部やる、みたいになるんですよね」

人が少ないことは不便ではあるが、その分、誰も手をつけていない仕事が残っている。

「都会だと、面白そうな場所には、もうすごい人がいるんですよ。ここは誰かが押さえてる、という場所も多い。でも山陰は、人がいないから自分でやるしかない。能力を自力で開発してしまえば、遊べる場がいっぱいあるんじゃないかなって。まだ見ぬ余白が広がってる感じがします」

遊べる余白の多さは、仕事に限らない。雑賀が学生時代から続けるサックスも同じだった。関西のジャズシーンでは、腕の立つ演奏者がひしめいていた。山陰ではセッションへ通ううちに声がかかり、出演料を得て演奏する機会も増えた。バイクを走らせれば山も海も近く、静かな釣り場もある。好きなだけ釣りをして、釣った魚は一夜干しにして家族に振る舞う。

「やりたいことが、身の回りですぐにかなう環境なんですよね。都会では手間やお金のかかる経験が、身の回りの暮らしの中に普通にあるというか。ずっとドーパミン出っぱなしです」

雑賀は、社内でもAIをよく使う。以前なら時間をかけて書いていたプログラムも、今では一瞬でつくれる。外部へ発注していた仕事も、手元でできるようになった。減っていく仕事はあるだろう。それでも、人に残る仕事があると雑賀は言う。

「働く上で大きな影響を受けた人といえば、今の上司ですかね。現代の寅さんみたいな人で、飲み会が好きで、二日酔いの日や仕事をしているのか怪しい日もあります(笑)でも人情やコミュニケーションをすごく大切にしていて、飲みの席とかで人と人をつなぐことで、最後はちゃんと仕事にする。その力はずば抜けています。その上司を、雑賀はよく昼食に誘う。ふたりの定番の店は、ラーメンにいはお。会社から少し離れるけれど、わざわざ出かける。ふたり並んで野菜ラーメンを食べた回数はすでに数えきれない。

最短距離から外れた場所で、人はラーメンをすすり、酒を飲み、無駄話を重ねる。そういう時間から生まれるものがあるし、その仕事は、AIには代替できない。

「僕は、あんまり『でかい』っていうことに興味が持てなくて、自分の中で嘘をついていないことの方が大事だったのかなという気は、今もしています。売れてなくても面白い本はたくさんありますし、有名なものが正解なわけじゃない。幸せって、自分のセンサー次第だと思うんで、派手なものを追いかけるより、幸せの感度を鍛えた方がずっとコスパいいよねって感じますね。こっちに帰ってきて、そのセンサーは上がったと思います」

PROFILE

株式会社 山陰中央新報社

雑賀敦之 Atsuyuki SAIGA

1998年米子市生まれ。高校卒業後、京都大学文学部へ進学。東京の大手総合出版社、京都の学術系出版社を経て、2025年にUターン。現在は山陰中央新報社で、未来戦略局ビジネスクリエーション部に所属。

COMPANY PROFILE

1882年創立。島根県松江市に本社を置き、島根・鳥取を中心に地域のニュースを伝える日刊紙「山陰中央新報」を発行。デジタルサービスの運営や各種イベント、出版事業なども手がける。