10:30 江津の空を見上げながら、船田周太郎は遠回りしてきた日々を思った。
船田周太郎 日本製紙株式会社 江津工場
日本製紙江津工場の正門に立つと、高い煙突が見える。
船田周太郎はこの街で育った。工場も煙突も、昔から見慣れたものだった。けれど、知っているつもりのものほど、案外よく見えていないことは、多い。
日本製紙江津工場は、社名に製紙とあるものの、実は紙の生産は行っていない。 木材チップを主原料とした、木質化学分野の様々な製品群をうみだしている、同社の中でも独特の工場である。食品、化粧品、セロハンテープ、衣料用レーヨンといった、身近なものから、自動車のバッテリーやコンクリート建造物に至るまで、実に広範な用途に木質化学製品群を提供している。
「僕も入社前までは、紙を作っている工場なのかなと思っていました」
今、船田はその工場で、人事や採用に関わっている。会社説明会に出る。応募者を工場内に案内する。他部門の人に話を聞き、この人はどんな部署に合いそうかを考える。事務職と聞くと、机に張り付いてパソコンを見ている姿を想像するかもしれないが、船田の場合はそうではない。
「事務職って、もっと机で仕事するイメージだったんです。でも、実際は足を運んで人と喋る仕事なんですよね。営業よりもコミュニケーションが必要なんじゃないかなって思いました」
船田は、自分を人見知りだと言う。けれど経験してきた仕事は、なぜかいつも人と向き合うものだった。
はじめは警察官に憧れた。大阪の専門学校へ進んだが、在学中に思うところがあり、大学へ編入し、就職のタイミングで島根へ戻った。
最初に就いた仕事は、自動車ディーラーの営業だった。人見知りには、なかなかのハードモードである。浜田市内の民家を一日に何十件も回る。すぐに車が売れるわけではない。それでも、地元の友人が買いに来てくれた時や、納車の日に喜ぶ顔が見られた時は、素直にうれしかった。
仕事は忙しかった。帰りは遅く、思い描いていた社会人生活とは少し違った。次に勤めた病院では、事務職を9年ほど経験した。机の前だけでは仕事が進まないことを知った。わからないことは聞きに行く。全体を見て、人と人の間をつなぐ。今の仕事につながる感覚は、その頃に育ったのかもしれない。
その後、線路保守の技術職にも挑戦した。終電から始発までの間に線路を歩き、点検する。手に職をつけたい思いはあったが、ほぼ夜勤の生活は体に合わなかった。
働くということは、職種を選ぶことだけではない。何時に眠り、休日に誰と会い、夕方にどこへ出かけられるか。そういう生活の形まで、仕事は静かに決めてしまう。そういうことを、船田は働きながら学んだ。
———-
日本製紙に入って、船田はようやく、自分に合う働き方に近づいた。
土日が休みで、地元で働き続けられる。入社前は、江津工場で働く人は江津や浜田の出身者がほとんどだと思っていた。けれど実際には、全国転勤の社員も多い。事務所では、いろいろな土地の食べ物や観光地の話が聞こえてくる。江津にいながら、江津の外の価値観に触れられる。そのことが、かえって船田に、自分の町を知りたいと思わせた。
職場には若い世代も多い。二十代、三十代が半分ほどを占め、困った時にも相談しやすい。真面目に仕事をする時間があり、ふとした雑談に笑いが起きる時間もある。そのオンとオフの切り替わりが心地いい。
最近、石見神楽をよく見るようになった。子どもの頃から、祭りの音として耳には染みついていた。けれど、大人になってちゃんと見ると、太鼓が立ち上がる瞬間、衣装のコンセプト、社中ごとの違いまで、面白い。
「改めて江津っていいところやなって、本当に思います」
採用の仕事では、高校生や新卒で入ってくる若い人たちと話す。今も緊張はする。けれど最近は、将来に向けて一生懸命な生徒たちが、少し可愛く見えるようになったという。
「なんか、親の気持ちみたいな感じがちょっと芽生えてきてますね」
刺身のうまさも、大阪に出たことで気づいた。夏に車を走らせれば、すぐに蛍が見られる環境も豊かだと感じるようになった。神楽の音も、魚の味も、山の風景も、小さな頃からずっと変わらずにあった。けれど、いくつかの仕事を通り過ぎて戻ってきた時、それらは初めて、鮮やかな驚きをもって視界に入るようになった。
船田は「回り道しましたね」と笑う。まっすぐな道ではなかっただろう。けれど、その道のりは、地元で働くことの豊かさを感じるための、時間でもあったかもしれない。
PROFILE
日本製紙株式会社 江津工場
船田周太郎 Shutaro FUNADA